粋仙会:藤井龍仙の日記

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龍仙的ひらがな考察(1)

現書壇でひらがなを扱うのは、
「かな」分野と「近代(現代)詩文書」分野ですが、
かなは表現の幅を広げるために変体仮名を多用するようになり、
結果、書道をやらない人は読めなくなってきています。
うわさでは、手本を見ながら書いている人は、
実は読めていないとも聞きます。事実でないことを祈ります。
一方、近代詩文ではひらがなやカタカナを漢字の書法をもちいて、
違和感のないように収めこんでいますが、
ひらがなを多用する作品は少なく、表現の中心に据えるのは依然として漢字で、
一見すると、漢字作品と見まがう作品が多いですね。
ところで、皆さんにとって「ひらがな」ってどんな存在ですか?
とても身近ですよね。しかも、国内に住んでいる人なら、
誰でも読めますよね。
表意文字である漢字だといまどき総理大臣も読み間違いますが、
46個の表音文字の「ひらがな」を読み間違う人はいないですよね。
と言うことは…
書道を身近なものにするためには、
ひらがなを主体に読める作品を作る必要があると言うわけです。
しかしながら、活字のように並べるだけでは、
作品とは言えず、何の感動も生みません。
反面、デフォルメしすぎると、すぐに読めなくなります。
従来のかなでもなく、教育書道的ひらがなの羅列でもなく、
漢字の中のひらがなでもない、
「ひらがな」の作品がこれからの書道の未来の鍵を握っている気がするんです。
では読める限界はどこなのか?
これは次回にゆだねましょう。
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