粋仙会:藤井龍仙の日記

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龍仙的ひらがな考察(2)

前回はひらがな書とその未来について語りましたが、
今回はひらがなとして読める限界についてです。
書いたひらがなが読めるか読めないかは、
書いたものを見れば一目瞭然ですが、
理論的に読める限界を語れないか…
龍仙的にいろいろと考えて、
「ら」と「ろ」の理論、
「い」と「ハ」の理論
「う」と「ら」の理論
「ソ」と「ン」と「リ」の理論
「シ」と「ツ」の理論
など、いろいろな屁理屈はあります。
ただ、読むときにそんな理論をいちいち頭の引き出しから出しませんよね。
少なくとも龍仙はそんなややこしい頭を持っていません。
切り口を少し変えますが、
皆さんが本を読むときに、ひらがなを一字一字間違わないように、
注意して読んでいますか?
本じゃなくても、イイです。メモやブログを、
一文字一文字解析しながら読みませんよね。
じゃぁ、どうやって文章の意味を読み取ってますか?
フレーズ単位じゃないですか?
少々読み辛い字でも、前後関係で読めますよね。
そう、全てのひらがな一つ一つが読めなければならいという必要はないんです。
「こん○ちは」の丸の中に何を入れますか?
多くの人は「に」を入れますよね。
「こ○ばんは」の丸の中に何を入れますか?
多くの人は「ん」ですよね。
「こん○んは」ではどうですか?
この流れからすると「ば」ですよね。
中には「た」を入れる人もいるかもしれません。
前述の例には、注目すべき点が2点あります。
一つは
ひらがな一文字一文字すべてが読める必要はないと言う点
もう一つは
読めなくてはならないひらがながあると言う点です。
この2点をはずさなければ、
人間の頭が、読めないひらがなを前後や文脈から想像して
46文字の中から瞬時に補ってくれるんです。
ということはですね、
ひらがなは単体で読めるに越したことはないが、
少々読めなくても、最小限読める手がかりがあればイイということなんです。
教育書道的にはもちろん×ですよ。
自分の気持ちを相手に伝えるためには、
少々間違っていても伝わればいいんですよ。
一生懸命延々1時間講義を受けても、
わからないものはわからないでしょ?
「そんなつもりでいったんじゃない!!」なんてのも、
いくら正確に伝えたつもりでも、伝わっていないことの典型です。
人間の学習的画像文章連携解析能力をフルに引き出せば、
意味は通じるんです。
この考え方が正しいとすれば、
書作品として作者のイメージを伝えるのに、
一文字一文字読める必要はなく、
全体として読める最小限の文字が読めればよいわけで、
少々読めない文字があってもかまわないということです。
これは、龍仙が5年間いろいろとひらがな作品を書いていく中で、
発見した実証的理論です。
今回は長かったですね。
次回は「一から作り直せ」です。
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